カンボジア番外編
今回前回までのカンボジアの記事で書くことができなかったことについて書きます。
一つ目はカンボジアのめっちゃええやんとなったことです。
音楽を聴く時間
シェムリアップのコムルー村で聞いたことなのですが、
畑や田んぼに囲まれて暮らしている田舎の人たちの生活の周辺には僕たちのように
カラオケや、ボーリング、飲み屋といったような娯楽施設が当然ですがありません。
働いた後、夜ご飯を食べてお風呂にはいってもまだ七時ごろだそうなのですが
周りには何もないのでやることがありません。
そこでその人たちは何をするのかというと
家族で音楽を聴くという時間を作っているそうです。
日本でそんなことをやっている家族はどのくらいいるのでしょうか?
スマホを一人一台持つことが当たり前になっている日本では、
家族がリビングに全員いても話すこともそれほどなくスマホを
いじっているということに心当たりはありませんか?
一日の生活の中に音楽を聴く時間があるという僕たちの生活からは
考えることもできない時間が、
カンボジアの人たちの中では存在しているのです。
カンボジア人全員がやっているとは思いませんが、
今同じ時間を過ごしている人の中にそんな風に時間を使っている人が
いることを知って、とても羨ましい気持ち(めっちゃええやん)に
なりました。
これが自分とは違う文化である異文化に触れることの楽しさなのだと思います。
赤ちゃんと葛藤
二つ目はとてもショックを受けた出来事です。
観光地に行くと必ずと言っていいほど、小さな子どもたちがお金を頂戴と言ってきます
観光客はお金をたくさん持っていると考えられているので当然といえば当然です。
僕はお金をあまり持っていないし、
お金をあげてもその子どもたちの生活が変わることもなく、
年上の人や親にとられてしまうこともあるのでお金をあげずにアメちゃんやお菓子を
あげていたのですが、その時ばかりはお金をあげてしまいました。
それは観光地の入り口に小さな桶のようなものが置かれていて、
近づいてみてみるとその桶の中に頭部が異常に腫れている赤ちゃんが
入れられていたからです。その桶の横には日本語、中国語、英語の文字で
「この子は脳の病気を持っています、手術代が必要です」
と書かれた立札のようなものが置かれていました。
辺りを見渡してもその子の親らしい人はいなく、
カンボジアの日中の暑い中で何時間も放置されていたのです。
初めにそれをみたときはこんなやり方をしてまでお金をもらおうとしている人が
いることにとても腹が立ちました。
そんな人たちにお金を渡したくないと思い入れずにしようと思いました。
でももしお金が桶の中に入っていないとこの子をここに放置した人から本当に
必要がないと考えられるのではないかと思いました。
もしたくさんお金が入っているとこの子は誰かに
必要とされるのではないかと考えました。
絶対にそのような形で必要とされることは正しくないとわかっているのですが、
暑い中放置されている赤ちゃんをみるとせめてこの子が
この世にいてよかったなと考えられるほうがいいと思い、
悩んだ挙句初めてお金を入れました。
僕がお金を入れたからと言ってこの子が必要とされるかはわかりませんが
僕は1%にも満たないかもしれない希望に賭けました。