インドで死を間近で見て一番に考えた大切なこと!! 7
街中に溢れかえるオレンジの人たち。
どこに行っても歩いているオレンジ。
裸足で走っているオレンジ。この街で何が行われてるねん!!
街中がオレンジな理由
みんな手にはコップや水を入れるための容器を持っていることに気がつきました。
↓の真ん中の人が持ってるものが多かった!
黄金寺院と呼ばれる「カーシー・ヴィシュヴァナート寺院」に
向かっていましたがオレンジの人が多すぎて大行列ができていました。
黄金寺院とはガンガーの西岸にあるシヴァ派のヒンドゥー寺院で、
バラナシの中心地としてシヴァ派の全巡礼者が目指すともいわれています。
行列で並んでいる間オレンジの服の人に何故こんなに人が多いのかと聞くと
今日はシヴァ神の祭りだそうで
オレンジの服の人たちはガンジス川の水を黄金寺院に持っていくために
インド中の人がここバラナシに集まっていると教えてくれました。
それにしてもすごい人の数。
この列の先が見えないくらいの人が並んでいて、
黄金寺院にたどり着くまでに暑さで負けてしまい
諦めて人の少ないところに逃げて休憩。
マニカルニカ・ガート(Manikarnika Ghat)
歩いているとまた話しかけられ
世間話をしているうちにいつのまにかガイドをし始めてとりあえずついていくことに。
ついていくとたどり着いたのはマニカルニカ・ガート(Manikarnika Ghat)。
ボランティアを名乗る人の話を聞いているとヒンドゥー教徒にとって、
ここで焼かれてガンジス川へかえることは一番の喜びともされているそう。
僕にはない宗教の感覚。だからここにはインド中の遺体が集まってくるらしい。
まずはガンジス川で遺体を清めてから火葬がはじまる。
一つの遺体の火葬に必要な薪代は250ルピー(約500円)。
薪代を払うことができない人もいて、火力が足りず灰になることもできない
遺体もあるそうです。目の前で次々に焼かれていく遺体。
死を目の前に考えたことは
この一つ一つの遺体にも様々な人生があり、
それが今炎に焼かれてガンジス川にかえっていく。
炎を見ているとああいつか俺もこうなるんかぁと
いつか必ずおとずれる逃げられない死を見ていると
じゃあ死ぬまでは楽しまなあかんよなぁと
火葬を見て考えたのは死の怖さよりも生きている時間の大切さ。
死を間近で見ることで普段は考えもしない
生きている時間の有限性を感じることができました。
「生」と「死」
生と死が隣あわせという表現がよくガートには使われています。
ボランティアを名乗っていた人は僕たちにここに連れてきたから・
ここには死を待っている人やホームレスの人の面倒を見るためにお金がいるから
と薪代やガイド料だと言いお金を要求してきました。
生きていくためにはお金が必要。そんなことは誰でもわかっています。
でもここでは死ぬためにもお金は必要なんです!!
他人の死で今を生きるためや他の人が亡くなった時のためににお金を作る。
日本では死は悲しいものであり、ましてや他人に見せるものではありません。
身内や知人、人生で関わった人たちだけが
悔やんだり・悲しんだり・思い出したりできるのが日本の死の場面。
インドでは死さえも明日を生きるために利用していく。
確かに生と死は隣あわせなのかもしれないです。
焼いて灰になりガンジス川にかえれば
お金持ちだろうと貧乏だろうとどんな人生も関係なく同じ。
インドの人たちはそんな思いでここで焼かれることを願っているのかなと
僕は思いました。
薪代とここで暮らしている人たち・そしてインドのために少しでもなればと思い
少しのお金を渡してガードを去りました。
お腹もすいてきたのでご飯を食べてから帰ることに。
インドに来てから何度食べたかもわからないけどやっぱり目に着くのはカレー!!
ここのカレーはそんなに辛くなくておいしかった!!
ガイドについてきたので帰り道が全く分からず迷路のような道をさまよい、
暑さや人に疲れたり、死を目の前に普段は考えないことを考えたりと
ようやく歩き続けてベットに着くと死んだように眠りました。