カンボジアでの一日。自分ルール 2

 

 初めてのカンボジアで見た朝日は赤かった!!

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カンボジアの朝は早く、6時ごろとなるとたくさんの人が動き出していました!

みんな早起き(笑)

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ホテルの朝食はバイキング形式でタイ米のピラフとオレンジジュースが濃くてとても

おいしかったです。朝食を食べているとごみ収集車がホテルの前で電線に引っかかっているのを見て、カンボジアで一晩過ごして忘れていましたがここが、

日本ではないことを思い出しました。

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うどんの名前の由来?「古都ウドン」

 

バスに乗ってマーケットに向かいました。マーケットは屋台に似たものが多く、

野菜から、ソーセージや生肉がドンっ!!とむき出しの状態で置いて売っていて虫が

たくさん集まっていてびっくりしました。生肉などの生鮮食材は日が昇って時間が経つにつれて値段が安くなっていき、昼過ぎには早朝の値段の半額ほどになるそうです。

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バスに乗って一時間半ほどして日本人には聞きなじみがある古都「ウドン」ということに行ってきました。

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山を汗だくになりながら会談で登るとそこには見渡す限りのカンボジアを一望できる

景色が待っていました。海外で初めての山に登って見た景色は先が見えないほどの平野が続いていて、世界の広さの片鱗を味わいました

 

銀細工と気をつけること

 

バスに乗って次の目的地に向かっている途中に学生たち(多分小学生くらいかな?)が下校していて暑いのに元気に帰っていてパワーをもらいました。カンボジアの学校は午前と午後の二部制に分かれていて、どちらかの時間に登校して、空いた時間は親の手伝いや兄弟たちの面倒を見ているそうです。

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次に訪れたのはカンボジアの銀細工を扱っている店です。動物の形をしているものや、バングルや指輪など細かいところまで細工して作られていてとても美しかったです。

デザインがかわいいものが多くあり、僕も友達のお土産と自分の分を購入しました!

しかし帰国後愛用していると形が変わってきて、最後にはグニャっと曲がってしまい壊れてしまいました。

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SILVER92.5と書かれていたので信用していたのですが・・購入の際はよく気を付けて信用できる店かどうか考えてから購入することをお勧めします!!

日本で購入するよりかは安価なので使い捨て感覚で買うと気持ち的にも楽でアクセサリーを楽しめます。

レストランでカレーを食べた後(ここでバナナの葉っぱがでてきた)S21(トゥールスレン虐殺犯罪博物館)に行ってきました。

 

S21(トゥールスレン虐殺博物館)

 

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そこはクメール・ルージュ支配下において設けられた政治犯の容場であったそうです。原始共産主義に還ろうというポルポト政権は知識人(教師、医者、職人など)を国の発展のために力が必要だと名乗りださせて殺したそうです。

なぜ知識人と呼ばれる人たちを殺したのかは、原始共産主義(平等で格差のない社会、財をみんなで分け合おうという考え)を確立するためには邪魔だったいう理由。

この考えはエスカレートしていき(文字を読める・海外に行ったことがある・眼鏡をかけてい=知識人とぶっとんだ思想によって

大勢の市民が虐殺されたそうです。

大人たちが殺されていくなか残った子供たちはポルポトの思想に染められ、兵士になってポルポト政権を批判する親や大人を殺したり、医者として知識がないのに注射や手術をさせていたそうです。 (怖すぎ)

この事実が1975年つまりたった43年前に行われていたので驚愕です。

同時期の日本で家庭用のテレビゲームが販売されていたというからさらに驚きです。

大量虐殺跡地であるキリング・フィールド(killing field)を訪れると地面からは

人骨が見えていました。たくさんの穴がありここに処刑された遺体が投げ込まれていたそうです。たくさんの人骨を見ていると僕もいつかはこうなるのかと考え、

日本人として生まれて環境にも生活にも恵まれているのだから自分の一回きりの人生、後悔のないように生きようと強く思いました。

自分ルール

 

バスに乗ると窓の外側から小さい女の子がお金をちょうだいと言ってきていて、

子どもにはじめて言われ僕はどうすることもできませんでした。お金をあげても

親や年上の子たちにとられるということも事前に聞いていたし、

ここでぼくがいくらかのお金をあげたとしても明日からも同じ生活が続くだけで

何も変えてあげれない自分の無力さを痛感しました。自分の頭の中で考えて出した今の自分にできることは自分の持っているお金を使って、

何か自分がもらったものに対して納得してカンボジアにお金を落とすことだけだと

思いました。そうすれば一方的に与えるギブ・アンド・ギブではなく、

カンボジアからもらったものに対する

ギブ・アンド・テイク

関係が作れると考えました。

カンボジアからのギブは食べ物でもお土産でも、子供たちからもらった笑顔や

一緒に話した楽しい時間でもなんでもOKという何かしてあげたい気持ちから作った

自分でお金をあげることを許すための自分ルールであったと今になってわかりました。19歳で作ったこの自分ルールは21歳のいまでもほかの国を訪れても、日本にいても

守っています。

何かもらったら何かを返したいと思っています

カンボジアで丸一日過ごして、

感じたのは僕が知っていることなんかほんのごくごく一部で、

自分の視野の狭さに痛感した一日でした。

最後に一番印象に残ったポルポトの残した言葉を載せておきます。

 

ポル・ポトによる子供たち向けに掲げたスローガン

 「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。

したがって伝統的な形をとる学校も病院もいらない。貨幣もいらない。

たとえ親であっても、社会の毒と思えば微笑んで殺せ。

今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。

泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。

笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ。